何とはなしに、話半分

男子学生の考え事などをお送りするところ。

A stray jaguar, Lodestone, Silver lining

いつもより少し早めに目を覚ますと、外は雲もほとんど出ていない気持ちのいい晴れ空だった。ここ数日間は雨が降り続け気が滅入るような肌寒さだったから、今日ぐらいは、と珍しくきちんとした朝食を取った。シャワーを浴びる代わりにバスタブに湯を張り、森林の香りを謳う緑色をした入浴剤を入れて長めに浸かった。浴室の電気を消して、狭いバスタブに沈み込むようにして僕は体を温める。カーテンを開けてある居間の窓から入る僅かな光が、キッチンの濃い青色の戸棚に反射して浴室に届く。ぼんやりと照らされる浴室内は、森林というよりは暖かい海の底のようだった。それが異様に心地よくて、僕は体が冷めかけるまで湯に浸かっていた。

 

風呂から上がって髪を乾かしている間にも、外の世界は徐々に明るさを増していた。僕は居ても立ってもいられなくて、財布と煙草だけを持って弾き出されるようにして家を出た。行先は特に決めていなかったが、何も考えずに東へ歩いた。緩やかな上り坂を一つ越え、反対側に下りきったところのカフェでアイスコーヒーを買う。すぐさま喫煙所に立ち寄って煙草に火を点けた。昼休みのサラリーマンで賑わうそこは、まさに憩いの場だった。僕はいつものハイライト・メンソールを立て続けに二本吸って、再び外に出た。神田川沿いに歩いて外濠公園のベンチで少し休むことにした。風が強いこと以外は、すべてが最高の一日に見えた。

 

そのまま高校時代によく通った四谷方面へ歩き続け、いつの間にかできていた大きなビルの角を曲がって帰路に就き始める。街路樹の木漏れ日が僕の視界をまばらに照らす。秋の気配を感じる暖かな色合いが街に溢れていた。退屈な並木道も、今日はそれほど悪くない。そんな風景を進みながら、僕は考え事にのめり込んでいた。

 

昔から僕は宛てもなく歩くのが好きだったが、最近は一人で歩くことを避けている。特に、こんな風によく晴れた日には。理由は自分でよく分かっていた。堪らなく寂しくなってしまうのだった。ただ、寂しさを紛らわそうと思っても、人に頼るのがどことなく怖かった。今の自分の寂しさを他人に打ち明けることも、誰かの楽しそうな暮らしを聞くことも躊躇ってしまうのだった。そうして外界との繋がりを極力避けて自室に籠る暮らしは、不意に傷つくことはないかもしれないが、すべてが無意味だった。いつまでもこんな暮らしを続けるわけにもいかないことは誰よりも分かっているつもりだったし、続けたいと思っているわけでもなかった。家に帰れば誰かが隣にいる幸せを僕は知っていたし、いつかはそれを再びこの身に受けたいとも思っていた。だからこそ寂しくなるのだ。しかし今の僕は、寂しさを感じるには何というか、取るに足らない存在なのだ。

 

ネガティブな思考を振り払うために、僕は帰ってから明るい映画を見ることに決めた。いつもよく見る戦争映画ではなく、男心をくすぐるスパイ映画でもなく、心温まるラブストーリーを見て自分を満足させたかった。誰かがこう言っていた。「自分の機嫌を自分自身で取れなかったら、ただのガキだ」と。僕はその言葉を信じて自分を慰めるのだ。大学生の頃に英語の授業で扱った映画の一つを見ることにした。妙な偶然だが、主人公を演じる俳優は最近見た戦争映画のそれと同じだった。映画を見終える頃には、外はすっかり暗くなっていた。

 

長い間歩いていたこともあって一気に疲れを感じ、僕はベッドに体を投げる。じんわりと血液が体内を循環していくのが分かる。目を閉じればそのまま眠ってしまいそうだった。ふと、今日の景色を一枚も写真に収めていないことに気づく。せっかくなら一枚くらい撮っておけばよかったなと後悔しつつ、通った道を反芻する。そして、今年の三月頃に同じような経路で歩いたことを思い出した。同じようにコーヒーを買って外濠公園で休憩したことも、その日の昼に寄った風変わりな店主がいるラーメン屋のことも。その店は今月に入ってから休業しているようだった。

 

夕食を取るべき時間になっても食欲はなく、冷たい水だけを飲んだ。近所に新しくカレー屋が出来ていて少し気になっていたけど、また別の日に行くことにするほかない。腹が減る頃には、もう閉店してしまっていることだろう。僕はベランダで電子煙草を吸い、瞬く間に消えていく煙を目で追いながら、遠くの景色を眺める。一定間隔で点滅を繰り返す航空障害灯が寂しく夜空に輝く、そんな景色が好きだった。寂しい東京の夜空だ。新宿のビル街を見下ろしながら浸かったとあるホテルの露天風呂を思い出す。まるで書き割りの背景のような現実感の薄い街並みが、夕暮れの淡い茜空に溶け込んでいくようだった。去年の四月のことだ。

 

この東京という街には色々な記憶があり、色々な暮らしがある。僕のだけではない。一千四百万人もの人々が暮らし、それよりも多くの人が通勤や通学でこの街を訪れる。まさに星の数ほどの営みが、この街には存在する。にもかかわらず、寂しさがこの街を満たしている。都会というのはそういうものだ。青信号を知らせるメロディも、地下鉄がトンネルを走り抜ける音も、砂漠に消えていく細い川の水のように吸い込まれてしまう。誰かの助けを呼ぶ声も、誰かには届かずに虚空へと消えていくのだ。そんなことを考えながら、いまだに吹き荒れる秋の風を頬に受け、鼻をすすりながら煙草を吹かす。もう少ししたら部屋に戻ろう。そう思ってから五分以上が経っていた。風邪を引くまではやめられないのだろう。冷えたらまた湯船に浸かって温まればいい。水道代やガス代を気にするのは来月になってからでいい。そんな気分だった。