何とはなしに、話半分

男子学生の考え事などをお送りするところ。

1K, To go, Laundry

僕は7畳にも満たない1Kの部屋で一人、夜食とも言えない粗末な食事を作ってそれを胃に送り込んだ。時刻はたぶん、朝陽が昇る少し前だった。随分と味気ない。食器を片付けて熱い紅茶を淹れる。部屋を暗くして音楽をかける。目を閉じると僕は生温い泥の沼に沈んでいくような気分になる。しばらくそのままじっとしていると、不意に咳込んでしまった。本当に溺れてしまったかのように息が上手くできない。苦しくて、肩で息をしながら目尻に浮かんだ涙を拭う。心拍数がかなり上がっているのが体の中から伝わった。紅茶を飲んでも落ち着かず、また咳をする。

 

僕はいつ買ったかももう覚えていないハイライト・メンソールをポケットにねじ込み、財布も持たずに家を出た。最寄りの喫煙所までフラフラと歩き、誰に急かされているわけでもないのに着くなり三、四本立て続けに吸った。思いの外冷たい空気が体をじんわりと冷やしていく。僕はコンビニまでまたフラフラと歩き、温かいカフェラテを買った。カプチーノがあれば良かったのにな、とどうでもいい愚痴を心にこぼしながら、少しづつ明るくなってきた朝空の下を歩いて喫煙所に戻る。もう一度煙草を咥え、火を点ける。さっきは煙草の火がぼうっと暗闇に灯っていたことを思い出し、随分と長い間ここにいたことを認識する。道理で体も冷えるわけだ。そのまま二本目を吸い終え、ようやく家に戻ることにした。

 

玄関の扉を開けると、溢れ出すほどの衣類が左手にある洗濯機から顔を出している。最後に洗濯機を回したのはいつだっただろう。僕はすっかり、洗濯嫌いになってしまっていた。明け方にベランダに鳩が二羽止まっていたのを見てから外に洗濯物を干すのが嫌で、それを言い訳にしばらく洗濯物を溜め込んでいたのだった。今日は洗濯をしよう、最悪コインランドリーに行って乾燥機を使えばいい。そう自分に言い聞かせながら、近所の迷惑にならない時間が来るのを待つことにした。再び熱い紅茶を淹れて、最近買った漫画を読み進める。主人公とその家族が初詣に行く話だった。それにつられて自分の家族のことを考えてしまう。僕らがまだ「家族」だった頃のことを。

 

僕は四人家族の次男として生まれた。当然、四人の中で一番最後に生まれてきたわけだ。今では只の赤の他人になってしまった両親も、当時は僕の誕生を喜んでくれたことは想像に難くない。四歳離れた兄も、幼いながらに新たなメンバーが家族の一員となったことを喜んでいたに違いないし、物心つく前の僕自身ですら未だ見ぬ世界に期待を膨らませていただろう。新たな命の誕生には、何もかもが真っ新で、誰もが祝福すべき尊さがある。その命が形作られるまでにどんな経緯があろうと、その誕生の瞬間だけは、罪も恐怖もなく希望と祝福に満ちているはずだ。赤子は決して悲しくて泣いているのではない。

 

だからこそ、歳を重ねるごとにこの世が疎ましく、憎らしい物だと思い、自分が生きていることにすら恨みを募らせるようになってしまった事実がとてつもなく悲しいのだ。生まれたときは誰もが喜んでいたはずなのに。そして今でも、僕の家族は僕がこれからも生きていくことを望んでいて、言い換えれば先に死ぬことは許されないのだろう。誰かを愛するということは、そういうことだ。優しくも残酷な、何とも人間らしい営みである。僕はそれがとても苦しかった。嫌でも生きていかなければいけないことも、誰かからの愛情を素直に喜べないことも。家族は絆しだと、昔の人はよく言ったものだ。この世と自分とを繋ぎ留める絆でもあり、縛り付ける枷でもあるのだと。しかし昔の日本人と僕の置かれている状況の一番の違いは、「出家」という疑似的な死が選択肢として採り得ないことだ。いや、採り得たとしても選べなかっただろう。何をするにも口ばっかりで、行動の伴わない僕には。

 

そうこう考えているうちに、外はすっかり明るくなって、いつもの朝が街を覆っている。大型連休も終わり人々は寝床を出て身支度をし、正常な日常を送るのだろう。The Earth turns from sanity.という歌詞を思い出す。こんな陰鬱としたことを考えながら眠らずに夜を明かす僕を置いて、世界は正常に回っていくのだ。僕はいつもその回転に乗り遅れて、周回遅れのままとぼとぼと歩いていくので精一杯だ。変わりたいと思っても、上手くいかなかったり、拒絶されてしまったりする。何度もそうだった。今もそうして失意の中にいて、虚ろで悲惨な一日を徒に消費しているのだ。

 

そんな僕も連休中に一つだけ行動を起こすことができたのを思い出す。ある企業のインターンに応募してみたのだ。およそ一年ぶりのインターンということになる。選考に通るともあまり思えないが、もしも実現すればまた何かが変わる気がしていた。一年前の僕が少しだけ変われたように。僕が再び少しでも変わることができたら、家族や友人からの愛情を素直に受け止めることができるだろうか。この世に生まれてきたことを恨まずに、心の底から感謝できるだろうか。真剣に、そして前向きに、生きていきたいと思えるだろうか。誰かと同じように、僕にも人を愛せるのだろうか。もしもそうなら、僕は家族に今まで考えてきたことも、そんな自分から変われたこともようやく打ち明けられるように思える。

 

そんな淡い期待で少しだけ気分が紛れる。どれだけ面倒でもちゃんと洗濯をして、コインランドリーに行ったら、随分と遅れてしまっていた僕も、この世界の回転に少しは追いつけるだろうか。その勢いで部屋の掃除もしてしまおう。そうすれば少しは胸を張れるだろうから。