何とはなしに、話半分

男子学生の考え事などをお送りするところ。

下り坂とその先に、転がり堕ちていく僕と梅雨の日

実際のところ、二十歳そこそこの青年にはよくある悩みだと思う。

 

自分が何のために生きているのか分からない、とか、自分が何をして生きていきたいのか分からない、とか。

あるいは、生きていること自体が辛いだとか、独りでいるのが嫌で誰かに依存していたいだとか。

 

きっと、そのどれもが、結局は現実から逃れたいという一心から生まれてくるものだし、華々しい自分の将来像を今もなお否定できないという未練に囚われているのだ。

「こんなはずじゃなかった。自分はこんなところで燻っているような人間ではなく、もっと別の、自分が自分らしく活躍していられる場所がきっとどこかに存在するはずだ。」

こんな弱音を吐きながら、鏡を見ることも周りを見ることも拒絶し、実在するかどうかも怪しい夢の世界を虚な目で眺めている。

 

今ならまだ間に合うかもしれない、これを逃せばもう機会はないと自分に言い聞かせながら、何か新しいチャンスを手に入れるべく心を奮い立たせようとする自分がいる。

しかしその一方で、彼此二十年と少しの間、自分のやりたいようにやってきたはずなのに、それでも上手くいっていないという現実に、何をやったところで自分は大して成功しないのではないかと薄々諦めがついてしまっている自分もいる。

 

かく言う僕もその一人だ。そうした葛藤の狭間で、僕の心は錆びつき、断末魔のような音を立てて軋んでいる。目の前の課題を解決することも、先を見据えて今の自分にとっての原動力にすることも、その両方ができていない。

ただひたすらに過去を振り返っては些細な失敗や後悔をフラッシュバックさせ、額に汗を滲ませている。自分でもよく憶えているものだと驚くほどに、どうでもいい出来事であってもだ。それなのに、どういう訳か楽しかった思い出や成功した時のことは思い出そうとしてもその時の感情の昂りは戻っては来ない。

そうして苦い過去を思い出す度に、僕は活気に満ちて輝いている架空の自分を頭の中で思い浮かべ、その空虚な妄想の世界に閉じ籠る。嫌な汗が引いてきたところで、大抵は日付が変わっていて、また下らない一日が終わったことに気づく。それを繰り返すだけだ。

 

僕が今の自分自身に幻滅している理由はいくつかあるが、一番腹立たしくやるせないのは、自分で望んだはずの環境に適応できず、努力することから逃げてしまうほどに心を弱らせてしまっていることなのだと思う。

もちろん、感染症とそれに由来する環境の変化という不可抗力的な要因はある。それでも、今の僕にはたとえパンデミックが発生せずに例年通りの日常がここにあったとしても、上手くやれていた自信も根拠も見出すことができない。

むしろ、感染症を言い訳にできない分、ダメージはもっと大きかったかもしれない。

 

いつかも書いたことかもしれないが、僕の歯車はどこで狂ってしまったのだろうか?と考えてしまうことがよくある。

僕はいつからこれほどまでに努力できない人間になってしまったのだろうか。僕はいつから、自分の描く明るい未来に現実味を帯びさせることができなくなってしまったのだろうか?

僕はいつから、なぜ、どうすればいい?いくつもの疑問が脳味噌の中を流れては、答えの出ないまま滞留している。ちょうど梅雨時の曇り空のように、いつまで経っても晴れそうにない鈍色が、僕の心を覆い尽くしている。

 

僕には一体、何ならできる?僕は何が得意なんだったっけ?それでどこまでやっていける?

僕が好きなことは?やってみたいことは?それが上手くいく自信は?続けていける?

ここまできて、僕は全てが分からなくなる。僕には、何も無いのかもしれない。

 

今まで自分が培ってきたものが、音を立てて崩れているような、もう既に崩れてしまっているような感覚に襲われる。

僕のこの両手には何一つ掴まれていなくて、指の間からすり抜けていってしまった砂塵のような夢や熱意を、僕は何もできずにぼうっと見つめている。六月の湿った風がそれを向こうへと吹き飛ばしていく。僕は空っぽになった自分の手を見て、新しい何かを掴む意思さえ失おうとしている。ひどく悲しかった。

 

少し前までは、僕はやってみればそれなりに何でもできると思っていた。勉強も運動も、人との会話も得意な方だったし、多少の失敗や躓きはあったものの、それなりに結果を出せていたはずだった。

それが良くなかったのかもしれない。僕は結局、器用貧乏なだけの何でもない人間になってしまった。こういう人間は、同じような人間を集めた組織の一員として働く他ない。僕にはそれにどうしても耐えられる気がしなかった。

そうなると、大学に入ったことすら間違いだったような気がしてくる。やっとのことで入学試験に合格し、大切な友人や先輩後輩にも恵まれ、これ以上にないくらいに楽しい時間を過ごしたはずなのに。そんなかけがえのない思い出さえも否定してしまいそうになるほど、僕は自分が分からなくなっていた。

 

僕は今学期に取っている授業のほとんど全てを諦め、所属している二つのゼミにだけ顔を出す、という状況が既に二週間以上続いている。このような精神的な状態で日々の課題をこなし、自分の研究を進めることなど到底できないと思ったからだ。

そして、とりあえず今学期を凌いだら、少なくとも秋学期は休学するつもりでいる。

 

休学して何をするかも決めていないし、休学して事態が好転するのかどうかも示すことはまだできないが、今の僕にはこれ以外に為す術がない。

ただの先延ばしにしかならないかもしれないが、「何かをしなければならない」という状況を一度クリアして、考えたり休んだりする時間が僕には必要だと思った。

時間が解決する鍵となるのかは分からないけど、とにかく僕はこれ以上「サボっている」という状況を続けるわけにはいかない。

 

誰に対してでもない言い訳を連ねながら、僕は徒らに過ぎたる春を憂い、来たる夏を慈しむ。気温が上がれば、僕の心も多少は熱を帯びるかもしれない。

梅雨空は相も変わらず濁った白色で、窓を開け放しにしているせいで僕の足先は冷えてしまっているけど、まだ淡い期待が少しだけ僕の胸にあることに気づいて、僕はとりあえずは梅雨が明けるまでは生きていける心地がした。

 

長い雨が上がったら、久しぶりに写真を撮りに行こうと思う。僕が好きなあの坂道でも撮ろう。

それが何にもならなくたって、僕が目にして美しいと思ったものが形に残るなら、それでいい気がした。