何とはなしに、話半分

男子学生の考え事などをお送りするところ。

外待雨だったら

夕方の天気予報は曇りだった。それでも夜の九時頃からは雨が降るかもしれないから、僕はやっとの事で寝癖だらけの髪の毛を整え、服を着替えて家を出た。

傘を持たずに僕はエレベーターを降りて外に出ると、ちょうどぽつぽつと雨が降り始めた。満員のバスの車両から乗客が吐き出されたような降り方だった。僕は傘を取りに戻るか少し考えたけれど、すぐに止むだろうとそのまま歩を進めた。

 

自動販売機で缶入りの炭酸飲料を買い、それを飲みながら歩いた。雨粒は次第に大きく激しくなり、僕の体を濡らしていく。傘を取りに帰らなかったのは失敗だったかもしれない。街往く人々の憐憫を含んだ視線を振り払うように、僕は勢いよく缶ジュースを飲み干した。

僕は歩きながら夕食の献立を考えてみたが、炭酸で膨れた腹と顔に吹きかかる雨粒のせいで全く何も思いつかない。僕は行く宛てもなく雨に濡れながらふらふらとしていた。

 

八月。長かった梅雨も明け、昼間は雨に代わって日差しが容赦無く降り注いでいる。僕はもともと夏も冬も好きではなかったが、最近はもはや嫌いになっていた。より正確に言うならば、近年特に春や秋が短いせいで、時間があっという間に過ぎてしまったかのような錯覚に陥るのが嫌だった。

 

全く何もできないまま、何も生み出さないまま六月と七月が終わり、僕は低気圧と曇り空に一方的にカウントを取られて敗北した気分だった。不戦敗の方がまだ格好がついたかもしれない。

言い訳もできず、できたとしても誰に向かってすればいいかも分からず、僕は怠惰に塗れて日々を費やした。二十代という晴々しい年齢を生きているというのに、僕の気力は一体どこに消えてしまったのだろう。

食事を摂ることさえも面倒な僕は、人間が飢えて死ぬのに二、三日では足りないことさえも恨めしく思えた。心はとうに枯れ果てているというのに。

 

 外待雨という言葉がある。外待、すなわち農民が領主に隠し持っていた田畑にだけ降る雨、という由来のようで、限られた所だけを潤す雨のことを指すらしい。

 僕が降られたこの雨が外待雨であったならば、僕だけを狙って降らせてくれた雨だったならば、幾分か救われた気もした。

そう思って、確かめるように街路樹の脇をしばらく歩き続けた。けれど、雨は弱まることなく僕の肌を濡らしていく。どこまで行っても雨雲が街を覆っているように見えた。

そうして夏の通り雨に余計な期待をしては勝手に裏切られ、僕は冷えた体で空いた缶を片手に、何もない自宅へと踵を返した。

 

家に着いてすぐに、湿って張り付いたTシャツを脱ぎ捨ててシャワーを浴びる。さっきまで雨に打たれていたせいで冷たくなった体は、熱い湯を浴びて肌の表面が色づいていく。それなのに僕には生きている実感なんてまるでなかった。

機械的な動作で髪や体を洗い、浴室を漂う湯気に視線を潜らせる。どういう訳か今は何も考えたくなかった。

タオルで水気を拭きながら僕はグラスに水を注いで一息に飲む。熱くなった体の中を冷えた液体が降りていく感覚が、やけに生々しく僕の体を伝う。

 

髪も乾かさずにベッドに倒れ込んでしまいたい気持ちを抑えて、僕はドライヤーを取り出し轟音に髪をなびかせる。

髪を乾かしている間と洗濯物を畳んでいる間は無心になれるから好きだった。余計なことは何も考えずに澄んだ気持ちでいられる、僕にとっては数少ない時間だ。

 

石鹸の香りに身を包んで、僕はそのまま横になった。もう何もしたくない。食事も取らず、明日のことも思い出さずに瞼を閉じた。しばらく歩いたせいか、足先からじんわりと熱が伝わる。とても心地よかった。深く暖かい海に沈んでいくように、僕は眠りに就いた。

外ではもう雨は上がっていた。