何とはなしに、話半分

男子学生の考え事などをお送りするところ。

アルケミストと憂鬱、憧憬

今日は夜中から冷たい雨が降っている。その雨は地面いっぱいに水分を含ませるだけでは飽き足らず、空気も建物も人々の心までも、何もかもをぐっしょりと黒く重く濡らしていった。

そういった天気の中、僕は何時間目かも分からない活動時間を経て、冷めた紅茶を飲みながら年金の納付猶予の手続書類にペンを走らせていた。思えば文字を書くのも久しぶりだった。

思いの外上手く字が書けたことに安堵しつつ、僕は朝食でも昼食でもない食事にスパゲッティを食べ、ウイスキーをロックで指三本分ほど飲んだ。そうすればやっと眠れると思った。

 

僕は一度眠りに就き、目を覚ましたのは三時間後だった。

 

僕は重い体をベッドから引き剥がすように起き上がり、熱いシャワーを浴びて体を温め、鈍く痛む頭を振るった。目は覚めているのに、脳がまだ微睡んでいた。

今月に入ってからはずっとこうだった。一日の始まりと終わりは溶けてしまって、朝も昼も夜も僕の生活とは全く関係のない時間の区切り方になった。太陽が真上にあろうが月が出ていようが、僕は何とかして眠りに就こうとするのであり、どうにかして起き上がろうとしていた。

家の外に出るのは食料や酒を買いに行く時くらいで、窓から見える代わり映えのしない景色は僕の生活から現実感をより一層奪っていった。

 

決してくだらない哲学者を気取っているわけではないのに、自分がいったい生きているのかどうか、本気で分からなくなることさえあった。

自分でも気付かない間に僕はどこかで死んでしまっていて、現実の世界とは時間の流れが異なる空間に閉じ込められ、僕はそれにも気付かずに今まで通りの暮らしを間抜けにも続けようとしている。そういった違和感があった。

 

もちろん、いやきっと僕はまだ死んではいないが、確実に死に近づいており、生きている実感はひどく乏しい。何かを食べ、少ない時間でも眠り、排泄をしているだけで、それらを除けば僕の存在がこの世に与えている影響なんてほとんどなかった。

 

少し前の、十代の頃の僕ならば、自分が社会に必要とされていない、いてもいなくても変わらない瑣末な人間であると嘆き、ひどく傷ついていたことだろう。

今では流石にそうした大袈裟な悲劇の主人公を演じられるほど青臭くはないつもりだし、社会がそれほど冷酷ではないことも理解している。

ナルシシズムでも何でもなく、僕が社会にとって不必要な人間なのではない。むしろ僕自身が社会というものに疲弊し、社会から遠ざかろうとしている結果が今の状態だといった方が近い。

 

社会というものは暖かく手を差し伸べてはくれはしないが、自分がそれに接続しようという意思さえあれば、それだけでその構成要素として受け容れてくれる。社会にとって必要とか不必要とかいった概念はなく、社会に属することの利益を享受しようという意思があるかどうか、それだけだ。

もちろん、その利益を手にしようとすれば大いなる義務も発生する。それは法的な義務だけでなく、マナーや慣習、人付き合いなど、尊重し守らなければならないものが多数ある。

また、社会に参加することと引き換えに、我々は市民として努力し、進歩することも期待される。堕落した人間に対して、社会は冷たい視線で努力を促す。決して不必要だとは言ってくれない。社会にとって必要とされる人間であれ、と沈黙のままに迫るのだ。

 

僕はいつからか、その「社会にとって必要な人間」であり続けることに、しがみつくことができなくなっていた。

疲れたという一言では済ませられないが、最もよく当てはまる言葉は他に見つからない。多大なる義務を課され、無限に等しい努力を迫られてまで、僕は社会に参加していなくてもいい。孤独でもいいから何もしていたくない。そう考えるようになってしまった。

 

実際に社会の檻から出たことがない僕には、その外側の世界なんて想像もつかない。きっとそれは死と同義であるのかもしれなかった。もしそうだとするなら、僕はやはり死に対してSehnsucht〈憧憬〉を抱いているのだろう。

尊敬する先輩やロックスターに抱く憧れとは違う。もっと別の、遠くにある綺麗なものに吸い寄せられるような、とてもぼんやりとしていて素朴な憧れだ。

 

人々がいかにして生き延び、幸福な時を過ごそうと頭を捻っている傍で、僕はこのような憧れを抱いて生きているーー死に近づいているーーとするならば、社会とそりが合わないのも無理はなかった。

しかし裏を返せば、僕は日に日に死に近づくことができているのだから、毎日が幸福でもあるはずだった。本当に?

なぜその幸福が味わえていないのだろうか。答えはきっとこうだ。

 

ここにマラソン大会に出るためにトレーニングをしているある選手がいるとする。ある日彼は課題として、彼はコーチに制限時間内に三十キロメートルを走るよう言われた。彼は難なくその課題をクリアした。

別の日、彼はコーチにただ走れとだけ言われた。ペース配分や距離、目的地を指示されることなく、戸惑いの表情を浮かべたまま彼は仕方なく走り始めた。

何キロ走り続けても、何時間経ってもコーチは何も言わない。途中休憩を挟んでも、アドバイスや叱責はなく、然るべき時間が経てばさぁ走れと言われる。言われるがままに走る。

彼はやがて、足を止めてしまった。距離にしてみれば、彼はまだ四十キロも走っていなかった。しかし、彼の体は既に悲鳴を上げ、心はもうこれ以上走り続けることを拒絶していた。

 

要するに、明確なゴールの設定があるかないかの違いなのだ。人々は「何歳までに家を建て、何人の子を設け、老後は孫に囲まれて暖かな余生を過ごす」といったように明確なゴールを設定している。

それは然るべき努力をし、多少の縁に恵まれさえすれば、大きくずれることなく叶えることができるだろう。

 

しかし僕にとってのゴールが死であるなら、それはどれだけ努力をしても、いくら人との縁に恵まれても、突然訪れるのを待つしかない。自分で四十歳で死ぬのだと決めつけたところで、運良く四十歳で死ぬかもしれないし、何事もなく生きながらえているかもしれない。生き延びてしまえば、僕の定めた目標は自殺でもしなければ決して達成することのできないものとなる。

しかも、自殺をするのであれば、いつでも可能なのだからわざわざ四十歳と決める必要性も乏しく、それならば今死んでもよいではないか、ということになってしまう。

 

だからこそ、僕は生きているということについて執着心がないのであり、社会に参加して努力し続けようという意思もないのだ。

僕はこう考えるようになってから、いつだって死ぬタイミングーー自分の人生を終わりにするタイミングーーを見計らって生きてきた。それを僕自身で決めることが、人に努力や進歩、あるいは生を強いる社会に対するささやかな抵抗であるとさえ思っている。

その時がいつになるかは、僕にもまだ答えを出せていないから僕はまだ生きている。けれど、僕はそれがそれほど遠くないような、既に通り過ぎてしまっているような気もする。どちらにせよ、これ以上そう長くは生きていたくないことに変わりはなかった。

 

 

もうとっくに体からアルコールも抜けているし、深夜でも早朝でもないのにこのようなことを考えて文章にしている時点で、僕の生活や精神が歪み、狂ってしまっていることは明白だった。

しかしそれは散乱した狂い方ではなく、むしろ秩序ある歪み方をしているのも自覚していた。

 

どうせまだしばらくは眠れないし、このまま少しずつリズムが崩れて元の暮らしに戻れるのを、僕は酒でも飲みながら待つことにした。

今日はジンでも飲もう。スコッチだってある。それでよかった。