何とはなしに、話半分

男子学生の考え事などをお送りするところ。

寒波と痛み、蜃気楼の夜

寒空の下、僕は渋谷に向かって歩いていた。首都高の高架下を一人、少し昔の歌を車のエンジン音に紛らせて口ずさみながら、時折煙草の煙も吐き出して進んだ。寒さのせいで吐く息は白く、煙草があってもなくても同じような光景だっただろう。

 

先程までの三時間ばかりは、僕は一人ではなかった。決してくっついて触れ合っていた訳ではないけれど、確かに僕の隣には温もりがあり、僕はそのおかげで凍えずに済んでいたのだろう。彼女と家の前で別れてから自動販売機で買ったお茶は瞬く間に冷えていった。

僕はジーンズのポケットから携帯を取り出し、近くに住んでいる友人に電話をかけようか少しの間逡巡した。けれど、結局かけずに渋谷を目指して歩き続けた。時刻は二十二時を回っていたし、明日も平日だ。仕事終わりに近辺で飲んでいたとしても、もう今頃は家に帰って風呂に入ってしまっているだろう。

 

まただ。また僕はこの行き場のない人恋しさに襲われて、逃げるように歩き続けるのだ。向かう方角こそ決めているものの、目的地は定めずにひたすら革靴の踵を鳴らして歩いた。規則正しく鳴る足音と心音が、僕の中から寂しさを追い出そうと徐々に速くなっていくのが分かる。それでも風は冷たく、僕の細胞の目には見えない隙間に入り込むようにして通り抜けていった。僕はマスクの下で歯を喰い縛る。そのすぐ後に頭が鈍く痛む。痛みは鼓動に共鳴して増幅されていく。

 

そうして歩いているうちに、僕は渋谷の駅近くまできていた。まだまだ歩き足りなかった。そのまま明治通りに沿って進み、表参道まで行くことにした。一ヶ月ほど前に通った時とも景色は変わっていて、すっかり年の瀬に近づいてしまっていることを実感させられる。街は眩いイルミネーションで彩られ、どこへ行ってもクリスマスソングが流れている。この時間になれば辺りには手を繋いだカップルの姿が目立ち、あるいは数人の楽しげなグループが歩道に鈴なりに歩いている。そんな中でも一人の僕は、その脇を掠めるように追い抜いて、地下鉄の駅に続く階段を早足で下った。革靴で歩き続けたせいで、脹脛が少し張っているのが分かった。

 

電車に揺られる間も僕の中を満たす寂しさは消えることなく、じわりじわりと僕の心を蝕んでいく。一つ、また一つと駅を通り過ぎていっているはずなのに、これっぽっちも進んでいる気がしなかった。車内の暖房から放たれる熱気と、少しだけ開かれた窓から聞こえる轟音が、僕の周りから現実感を奪っていく。必要以上に気をつけていないと、乗り過ごしてしまいそうだった。電車が九段下の駅に着いてから、僕がドアから飛び出すまでの数秒が、やけに長く感じられた。実際に、僕の動きはひどく緩慢だったのだろう。

 

東西線のホームまでの階段を僕はやっとのことで登りきり、電車が来るのを待った。周りに人の姿はほとんど無く、見えたのは駅の構内を巡回している職員の眠たげな顔だけだった。体格に合わず弛んだ制服が、彼の疲労感を象徴しているようだった。僕はまた数駅の間電車に揺られ、同じように孤独に蝕まれながら降りる駅を間違えないように歯を喰い縛っていた。

 

家に帰ると、僕は着ていた服をハンガーにかけながら今日のことを思い出す。人と会うために外に出ていたのに、持ち帰ってきたのは寂しさだけだった。まるで彼女と一緒にいた数時間が夢や蜃気楼のように感じられる。暖房を点け、部屋に暖かい空気が流れてきても、僕の手は冷えたままだったし、僕の頭は鈍い痛みを発し続けていた。結局は全てがいつも通りだった。

 

僕は痛みを忘れ去るべく水をコップに注いで飲み干し、歯を磨いてベッドに横たわった。疲れ切った脚にじんわりと血が巡っていく。目は冴えていてしばらく眠れそうにないが、僕はこのまま目を閉じて動かないことにした。朝になったら洗濯をしよう。そんなことを考えながら。