何とはなしに、話半分

男子学生の考え事などをお送りするところ。

春のおとづれなし

おみくじによく「待ち人」という欄があり、そこで「音信(おとづれ)なし」のような文言が書かれていることがある。

この「おとづれ」は連絡という意味で使われている。どうでもいいが僕はみなみけで中学生ぐらいの頃に知った。

 

三月も折り返し地点を過ぎ、春らしく風が強い日が続く。

ベランダでは白いTシャツが風にはためき、これからの出会いに胸を踊らせているようにも、社会の動乱に揉みくちゃにされているようにも見える。

暖かい日が増えたかと思うと、真冬よりも寒く感じる日があり、雪が降ることすらある。この国には四季があるとよくいうが、春だけでなく四季のそれぞれが、僕らの頭の中にあるのとは違うものになりつつあるのを肌で感じる。

 

三月は僕にとって二人の近しい人の誕生日があり、それらは奇しくも一日違いだ。

僕はその一人目のお祝いをしようと連絡をし、少しだけ電話をしようという話になった。

日付が変わる少し前に携帯が鳴り、午前0時ちょうどに祝福の言葉を述べる。二、三言交わした後で、シャワーを浴びたばかり彼女は髪の毛を乾かしたらまた掛け直すと電話を切った。

僕は日泰寺の山道で買ってきた紅茶を淹れたり、ビリー・ジョエルを聴きながら食器を洗ったりして再び携帯のコール音が鳴るのを待っていたが、終に連絡がくることはなかった。髪を乾かしてそのまま寝てしまったのだろう。

僕とは違って彼女は社会人生活がすでに始まっているので仕方ないかもしれない。

 

とはいえーー僕がまだ学生で、今日も大した用事がなく家で過ごした自堕落な人間だとはいってもーー改めて連絡するといったのは彼女の方だし、むしろ彼女の方が電話をすることに積極的だった部分もある。

 

こういう些細な約束を、僕はよく破られる。よく破られるから、僕はできる限り他人に対して些細な約束を破らないようにしている。どうしても無理なときは必ずその旨を連伝えるし、相手を徒らに待たせたりはしないように心がけているつもりだ。

別にこれは誇れることではないと思うし、むしろ多くの人は当たり前のように行っていることかもしれない。でも、とにかく僕はこういった些細な約束をよく破られるのだ。

 

相手が寝てしまっては仕方がないから僕も眠ろうとするのだが、この長い春休みにすっかり染み付いてしまった昼夜逆転の生活のおかげで目が冴えてしまっている。

本を読むのにも紅茶を飲むのにも飽きてしまい、煙草を吸いにベランダに出た。電子式の煙草の、か弱く灯るランプが僕の心を宥めてくれている気もした。炎よりも苛立ちを鎮めてくれているように思えた。

 

三月だというのに外に出ているとたちまち手は冷えて感覚を失う。

僕がベランダで凍えている間も彼女は暖かい布団の中で寝息を立てていることだろう。

それでよかった。仮に他の男の腕に抱かれて眠っていたとしても今はそれすらどうでもよく思える。

 

僕は心まで冷え切ってしまって、部屋の中に戻ってきた。

私は仕事をしています、と言わんばかりにエアコンが稼働音を部屋に響かせているが、僕の手足は体から切り離されてしまったみたいに冷たい。

 

僕は昨日届いた小魚の菓子を少しだけ食べ、いつもより丁寧に歯を磨いた。

歯の汚れと一緒に、今日の出来事も洗い流してしまいたかった。そんなことをしたところで無駄かもしれないが、歯が綺麗になれば明日は幾分か自然に笑えるかもしれないから。

 

携帯は相変わらず、変動する株価のニュースしか僕に知らせてこない。

もしかしたら、僕は春も彼女からの連絡も、それほど待ち望んでいないのだろうか。だからおとづれない、というだけのことかもしれない。

などとシニカルなことを考えてみたが、翌朝になればきっと謝罪のメッセージが届くし一週間後には暖かさが東京を覆うのだろう。

 

僕が待っても待たなくても、春や彼女からの連絡は来てしまうだろう。

ただ、僕が待っていたものとは形を変えて、少しばかり遅れてやってくるだけのことだ。

こういう些細な約束を、僕はよく破られるのだから。